258. 消える地名「三十九町」の謎に迫る 後編・山内クリニックの所在地

当法人山内クリニックのあるいわき市平谷川瀬地区の土地区画整理により消えた字名「三十九(さんぞく)町」。名付けられた年「明治三十九年」の年数から生まれた字名だと前回まで突き止めました。ですがなぜ年数から付けたのかはまだ闇の中。歴史が刻まれた碑を残す神社と、その神社の総代長を尋ね回りました。前後編の後編。

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↑「三十九町」の字名を刻まれている石碑=2018年1月26日、いわき市平谷川瀬の薬醫神社

● 「三十九町」が刻まれる石碑
その石碑が立つのは薬醫(やくい・醫は医の旧字体)神社。調べると当法人山内クリニックから車で5分ほどの近さ。複数ある石碑のうち薬醫神社のいわれを伝える碑にはこう刻まれています。「古来より、薬剤、医療などの道を広く民に教え、身体堅固の信仰が絶えず、加えて高貴な御神格から、遠近の崇拝が厚く、今日に及んでいる」。古来、医療にまつわる信仰の厚い土地柄だったのでしょうかー。医療に携わる当法人が近くにあるご縁を感じずにはいられません。肝心の耕地整理の記念碑はその石碑のすぐ横にありました。見上げるほど高いその石碑にはしっかりと「三十九町」の名前が刻まれています。が、1915(大正四)年に建てられたというその碑に刻まれた文は漢文で解読が難しい。「近代いわき経済史考」(1976年・いわき短大創立10周年記念学校法人昌平黌学園理事長田久孝翁発行)によると、「明治三八年の凶慌のとき、谷川瀬一帯の耕地整理に着手、農事の改良をはかるとともに窮情にあった農民を救う一挙両得の策をはかったという記念碑」とある。「磐城佑賢学舎長大和田豊吉が選文と書」にあたり「増歩地新得田は三町三反一七歩あり、千古の一大工事」と讃えている。さらに碑文の末尾にはこう刻まれています。

成勢行勢 自境界始 仁徳臨位 盛賑閣里 正田救餞 合先五旨 協力励業 今帝所是 勅其功績 永伝孫子

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↑耕地整理の記念碑(左)など郷土の歴史を刻む石碑が立つ薬醫神社=2018年1月26日

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↑薬醫神社から臨む平谷川瀬エリア=2018年1月26日

● 村民総出で耕地整理
この薬醫神社の総代長・永山暢重さん(73)にお会いしました。改名した当時は、明治政府が1900(明治三十三)年に食糧増産のため耕地整理法を施行し、当時の谷川瀬村も組合を組織して村民総出で耕地整理に取り掛かったといいます。平谷川瀬地区内の「明治町」「三十九町」以外の字名「仲山町」「双藤町」「泉町」は、組合の役員名に由来。「仲山町」は、会計の仲田八百蔵さんと工事係の山﨑久米七さんと山﨑久之丞さんの名字の頭文字から、「双藤町」は、庶務の須藤庄五郎さんと工事係の遠藤熊太郎さんの「藤」から、「泉町」は委員長の永山泉七郎さんの「泉」から、それぞれ名付けられたといいます。なぜ「三十九」を「さんぞく」と読むのか、なぜ年号、年数、役員名から名付けたのかまでは、永山さんも「分からない」といいます。

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↑谷川瀬の歴史を教えてくれた薬醫神社の総代長の永山さん=2018年1月26日

● 「磐城平城」の巨大模型!!
永山さんは谷川瀬地区のシニアクラブ「むつみ会」の会長も務め、体操、カラオケ、グラウンドゴルフ、ボランティア活動、旅行などをメンバーと一緒に楽しんでいます。さらに「磐城平城」にも夢中といいます。定年退職後、手先の器用さと城好きが高じ、2メートル四方の巨大「磐城平城」ジオラマを5年掛かりで作成。城の造りや位置を資料で調べて築いた力作です。これまで市内の銀行や郷土施設に展示したこともありました。その腕前は広まり、会津若松市内の旅館から模型作成の依頼を受けたこともあったそうです。その「磐城平城」は現在自宅の作業小屋内に眠っています。いわきの歴史を愛する永山さんは「歴史館があれば市に寄贈したい」とも話していました。

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↑永山さんが作った「磐城平城」のジオラマ

● 残される謎
洪水被害や不作、耕地整理事業などの苦難を乗り越えてきた谷川瀬地区。なぜかつての住民は「明治町」と「三十九町」の字名だけ住民の名前ではなく年号と年数から付けたのか、住民同士でもめないための苦肉の策だったのではないか、いや、この年号年数に深いこだわりがあったのではないか―。「三十九」を「さんぞく」と読む謎も解けてはいません。神社にいくつもの石碑を残す土地柄からきっと未来に伝えたい想いの強い地域住民だったはず。超高齢化社会に直面する今こそ、住民同士支え合って苦難を乗り越えていたかつての谷川瀬地域包括ケアを歴史の深淵からすくい上げたい、のですがここで一旦終止符。地区内には地名に由来した役員の子孫もいらっしゃり、機会が巡ればお尋ねしたいと思います。当法人の住所は「平谷川瀬一丁目」に変わり、また地域の皆様と歩む新しい歴史をつくり出していきます。

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↑字名が消える前日最後の三十九町=2018年2月23日


後日、いわき総合図書館の元館長の小宅幸一さん(現いわき明星大学地域連携センター事務室)から、当時の谷川瀬村の組合委員長だった永山泉七郎さんを紹介したいわき民報の記事「明治百年 いわきの人脈」(昭和四十四年4月21日付)が見つかったと連絡を受けました。その記事は以下。

http://library.city.iwaki.fukushima.jp/manage/archive/upload/00000_20130118_7478.pdf

↑この記事に字名の謎を解く答えは書かれておりません。ただ内容から推測できるのは、永山さんは県の要職に就いていた方だったのではないだろうか。さらに亡くなった後も新聞で紹介されるほどの有力な方だったと想像します。明治三十九年当時、永山さんは71歳前後。字名を付ける際にかなりの影響力を握っていた方だったと推測します。

(おしまい)

【参考文献】
「近代いわき経済史考」(1976年・いわき短大創立10周年記念学校法人昌平黌学園理事長田久孝翁発行)

【消える地名「三十九町」の謎に迫る】
前編(2018年2月23日投稿):http://ymciwakikai.jp/blog-entry-413.html

【歴史もの記事】
「40年以上前に全国的に先駆けてお年寄り医療や地域連携に取り組んでいたいわき市勿来地区の齋藤光三氏の伝記連載」:http://ymciwakikai.jp/category30-1.html

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